テラスハウスの、花ちゃん。
ご冥福をお祈りいたします・・・。
この一件だけではなく
今までもはあちゅうさんやあいのりの桃さんとかの
記事やブログを楽しく読んでいる身としては彼女たちが誹謗中傷で困っている。という話題を度々目にして、実際にそういうコメントを読んで
「え?!全然意味わからない・・・!」となっているぷんぷんです。
例えば実生活で、そういうひどい言葉を浴びせたり
執拗に嫌味を言ってくるような人ってどんな人なんだろう。
ぷんぷんは、見た目だけは派手でなかなか実生活でそのような体験をすることが少ないのかもしれない。
だから、社会人になってからの誹謗中傷する人の人物像がなかなか想像できないのだ。
ただ、唯一いじめというか陰湿な喧嘩が多かった時期がある。
公立の中学校時代だ。
中学時代の話は何度かブログで書いたと思うのだが
中学校時代は、そういう陰湿な嫌がらせや暴言を吐く人間に多数出会ったものだ。
実際の人数は、多数ではなくて、クラスで2、3人ぐらいの割合だったのだが・・・
声を上げる割合で言うとその2、3人がその他よりも圧倒的に目立っていたし声を上げているように感じたのだ。
彼らはいつも誰かや、何かに文句を言っていた。
私が授業を集中して受けていると「ガリ勉」
いじめをやめなよと発言すると「八方美人」
親の言うことや先生の言うことを従順に守っていると「ビビリ」
あげればキリのないことなのだが、とにかく正しい行動をしていたとしても
何かにつけて批判をしてくるのだ。
今思えば、「足を引っ張りたくてしょうがなかった」のだと思う。
当たり前のことを当たり前のようにできない環境が彼らにはあった。
彼らの大半は家に帰っても親がいなかったり
塾なんてもちろん行っていないし、周りには暴力がいつもあった。
非行に走るためのルートはそこら中に張り巡らされているし
少しでもそこを外れようとすると、周りの人間から足を引っ張られて戻される。
彼らからすると、普通に毎日勉強や部活に勤しめる人間なんて
羨ましい限りだったと思うけれど、それを「羨ましい」と思える余裕なんてなくて
結局「鬱陶しい奴」「馬鹿げている」と否定することで自分たちの正当性を保っていようと必死だったように思う。
「彼ら」なんて遠い存在のように言っているが
かくいう私自身も
「〇〇ちゃんって有名人だしいいなあ。可愛いし、カッコいいし自分たちと全然違う人間じゃん。でも元々、お金持ちだしなあ。」
って勝手に羨ましいと思う相手と自分の距離を測って勝手に相手と自分の差を判断しているから驚きだ。
中学時代の話に戻るが
私の中では最初はなぜ、自分の当たり前の行動がこんなに否定をされるのかわからなかった。
だからこそ、そういう否定を毎日聞いていると
「あれ?先生たちのいう通りに勉強するなんて実はカッコ悪いことなのかな?」と
自問自答してしまったし
実際、優等生だった友達の何人かは
喫煙をしたり、授業をボイコットしたりと下に引っ張られていたのだ。
今考えたら、勉強ができないように筆箱を隠したり
自分が気に入らない行動を相手がとっていたら、大声で罵倒して驚かせたり
そんなこと正しいはずがないんだけれど
その渦中にいる人間にとったら、自分の「当たり前(勉強したり、いじめを止める)」ことが間違っているのか・・・!?と考えるようになっていくのだ。
だから、喫煙をしている人に対して
中学時代は「悪いことを心置きなくできてかっこいいなあ」なんて思っていたのは事実であるし
悪ければ悪いほど、強い。みたいな変な思想が形成されるくらいには
洗脳されてしまっていたと思う。
ありがたいことに
私の周りの環境は、彼らと比較すると整っていたし
悪いことを少しでもすると、それをしっかりと叱ってくれる環境も
家に帰っても彼らとSNSでつながっているなんてこともなかったし
厚生させようとする環境もあったので無事に今までグレることなく生きてこれたのだが
今、SNSを見ていて感じるのは
中学校時代みたいだな・・・ということ。
※基本的には面白いツイートや政治系しか見てないけど。笑
きっと、当たり前のことができずに困っている人が多過ぎるんだよ。
毎日苦しい中で、自分とは違う境遇で生きている人を見て羨んで
少しでも「よくないところ」を見つけたら嬉々として攻撃する。そんな感じ。
不遇な環境でも頑張っている人はたくさんいるし
自分が不幸だからって相手を傷つけていいはずはもちろんない。
絶対ダメ。許されることではない。
でも根本的にそういうのをなくすためには
不遇な環境の人たちへもっと手を差し伸べるしか方法はないのだと思う。
その中学校時代にももちろん先生は不良に目を光らせていたし
警察沙汰にだって何度もなっていた。
それでも全然解決しなくて、不良の人数は増えて行ったし(普通の生徒も引きずられてどんどん不良グループになっていくのだ)
取締りを厳しくするってことは全然根本解決ではなかった。
より陰湿になって行ったし、隠れていじめが起こるようになった。
でも中学3年生の時に、学校全体がこのままではダメだと
いろいろな改革をするようになった。
授業は先生が教えるのではなく
グループを作って、生徒が生徒へ教えるようになったし
先生が、不良たちの家へ家庭訪問をほぼ毎日していた。
学校で夜に宿題をする時間を設けて、夜な夜な宿題をしていたし
交換ノートも先生と始まった。
今となっては相当な負担を先生に強いていて完全アウトだろ!!って感じなのだが
その後卒業までの間にみるみる不良は減っていったのだ。
びっくり。笑
毎年卒業式に警察が並んでいたのだが
それもなくなり、今では普通の中学校になったようです。
不良が、現在SNSで誹謗中傷している人物とは思えないのだが・・・
結局、傷つけ合う行為って「何かに満足できていない不幸な人」が一方的に始めてるんだと思うしその底上げ「少しでも日常に満足する」っていうところに注力していかないとダメなんだろうな。
「国が監視したらいいんだ!」「罰を重くしたらいいんだ!」という声を聞いて
それじゃあ、中学時代に経験したみたいにどんどん陰湿になったり、一度ルールを破ったらどうせ罰則だと自暴自棄になる人間が増えたりしないかととても心配。
日本の全体像なんて全然把握していないし
中学校時代の曖昧な記憶で記事を書いているので悪しからず。
結局、誹謗中傷する人って
自分自身の問題を相手にすり替えて
自分を正当化することにいっぱいいっぱいなんだろうな。
あと、相手が苦しんでいるのとか、困っているのを見て
相手の足をひっぱれたということで麻薬みたいに誤った快感を得ているんだろうな。
大人になって実生活でなかなか誹謗中傷をしないのは
結局それが「負け犬の遠吠え」ってことがバレるし、排除されてしまうから。
SNSだと自分の姿を隠したまま発信ができるから
安全に、自分の欲求だけを満たせるツールになっているのか。
そう考えると
今のSNSも広まっている小中学生はどうなっているのだと考えると
ちょっと怖過ぎる。
子供は素直だ。洗脳されやすいし、少数の悪意ある声を大多数と思わすことのできるSNSは危険だと、ぷんぷんは思う。