育った家庭は共働きであった。
割としっかりと働いていた記憶があり
いわゆる「鍵っこ」出会った。
※家に帰っても親がいないので、鍵を持たされている子という意味。
夏は全然大丈夫なんだけど
学童保育から帰ってきて18時ごろでも冬場は真っ暗なのである。
手探りで電気を探して、
寒い中、ストーブをつけて温まるのを待つ。
一軒家なので、家全体がキーーンと冷えていて
ちょっとだけ心細かったり、でもテレビを自由に見れるし悪くなかった。
そんな中、共働きではない家庭へ遊びに行った時に
衝撃を受けたのが
「母親が家にいつもいる!おかえりと言ってくれる!温かい!」
という3点。笑
私はもっぱら両親に「おかえりー!」と言う側であったので
友達の家に学校帰りに寄った時「おかえりー」と言われたことの衝撃は今でも覚えている。
あと、人がいる部屋って体温のおかげなのか
はたまた普通に暖房のおかげなのか、温かいよね。
子供の頃、専業主婦の母親を持つ友達を見ては
「あー羨ましい!」と思っていた記憶がある。
お父さんが稼いできてるから、専業主婦できているのか?
なんて、ませたことも考えていたなあ〜。笑
大学を卒業するタイミングで
就職活動をなんの疑問も持たずに開始したぷんぷんであったが
中には「今の彼氏と結婚するから、このままバイトだけ少し続ける〜」みたいな子も現れて、
育ってきた環境=普通と思い込んで、何も考えてこなかった自分との
良くも悪くも差があって驚いたものだ。
その子たちは、今では立派に
主婦をこなしているし、専業主婦と言うよりも、
もうなんだかプロ主婦。って感じで毎日インスタグラムで羨んでいるのだが
コロナの影響で、専業主婦生活を余儀なくされている。
実際、働いている時は
共働きで時間もないし、家事もちょっと疎かだけど
稼いでるんだから、、仕方ない!みたいに
プロの主婦たちと比べても圧倒的に「ダメな自分」に対して
甘めに点数をつけていたのだが
実際に主婦オンリーでしてみても、同じクオリティーの毎日しか送ることができない。
小学生の頃の自分が思い描いていた
家を守って、子供たちにも温かく接するママとは程遠く
だらだらして、スッピンで、なんなら「ママ疲れたから横になります、勝手に遊んで」みたいな感じで過ごしているのだ。笑
働いている時は、そりゃ仕事してなかったら
もうちょいはきちんと過ごせると思うよ!家事も育児も時間できるんだから〜!
なんて思ってたけど、結局「私自身の力量」は変わらないから
時間が伸びたところで「睡眠、だらける」に充てられるだけなのだよ。
先日、旦那と
「鍵泥棒のメソッド」という映画を見た。
内容的には、役者志望の貧乏アラサー男性と、便利屋のお金持ちアラサー男性が
生活を逆転してどうなるか・・・・。的な話なのだが
貧乏アラサー男性は突然に大金や、素敵な家を手にしても
結局無駄遣いをしてみたり、せっかく綺麗な家なのに
ゴミだらけで、服も脱ぎっぱなしで汚くなってしまうんですよ。
一方、きちんとした性格のアラサー男性は
小さなアパートでも、きちんと整頓して清潔に生活しているし
なんなら、役者志望と思い込んでいろいろな本を買って勉強して
どんどんエキストラとして呼ばれて充実していく・・・。
結論としては元の生活に戻るし
そもそも、そこがこの映画の中心的なストーリーではないんですが
「自身の力量」って環境を頑張ってガラリと変えてもほぼ変わらなくて
努力し続けて少しずつ変えていくか、今が幸せだと妥協しながら過ごすかしかないのだな・・・。と思ったのだ。
ちなみに、今が幸せだと妥協しながら過ごしていたとしても
ほんのちょっとも努力しなければ、どんどん力量自体衰えていくので
少しずつは頑張る必要がある。笑
例えば、、、「ちょっと、やる気出して洗面台綺麗にしてみるか!!」とか。笑
そのぐらいの頑張りは現状維持するためにも必要なのだよ。
現状維持は、衰退。ってよく耳にするけど、これほんと。笑
我が家でも、おもちゃ放置しててもまあいいか。。。なんて油断していると
とんでもないぐらい汚くなるから驚きだ。
平常時でも汚いのに、もっともっとどこまででも部屋は汚すことができる。笑
話は戻るが、結局
その人が働いているとか、時間があるとか、お金があるとか
そんなことは結局本人に紐づいているわけであって。(ある程度ね)
だから、周りの環境を変えたって無駄だし
周りのおかげで、いい状態をキープさせてもらっていても
結局は自分の力量に応じてしか、回っていかないのだよ。
今の自分に満足していないなら
自分自身を変えるしかない。
極端には変われない。1歩ずつしか変われない。
それがもどかしくて、いつも今の自分に満足してるよ。と言い訳しながら
今日も家事をサボってだらだらしていた人が
ここにいますよ。っと。笑